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未来の担い手を包み育む“余白”とは何か ― 洛和会京都看護学校 新校舎に込めた想い ―

2026.04.10

開校から1年。
京都・山科の地に誕生した洛和会京都看護学校の新校舎では、学生たちの学びや交流が日々積み重ねられ、この場所が持つ意味や価値も、少しずつ輪郭を現し始めています。創立40周年を機に新築移転したこの建物は、単なる教育施設にとどまらず、「やさしい社会を創造する。」という洛和会のパーパスを体現する存在です。そこには、効率や実用性だけでは測れない、人が集い、豊かに育つ場への思いが込められています。本記事では、新校舎建設プロジェクトを率いた理事長 矢野裕典と、設計を手掛けた建築家 細尾直久氏の対談を通じて、その背景にある思想と価値を紐解きます。

数十年ぶりの再会が紡いだ、学び舎づくりの縁

矢野:まさか、こうやって細尾さんと一緒に仕事をする日が来るとは、思いもしませんでした。共に京都市内の小学校に通っていた同級生で、3年生から6年生まではずっと同じクラスでしたよね。

細尾:そうでしたね。当時はよく一緒に遊んだことを覚えています。理事長はその頃から読書が好きで、興味を持っていることの幅が広かった。だからいろいろな話ができて楽しかった記憶が強く残っていますよ。

矢野:私の家族と一緒に、みんなで甲子園球場へ野球観戦に行ったことなどもありましたよね。

細尾:懐かしいですね(笑)。でも、小学校を卒業してからは、お互い別々の道に進んだので、残念ながらほとんど接点がなくなってしまって。私は建築の道に進み、ミラノで経験を積んだ後、帰国後に京都で自分の事務所を立ち上げることになりましたが、その頃にはすでに理事長は洛和会を継承されていて、活躍されていることを伺っていました。

矢野:ありがとうございます。もちろん私も、細尾さんが建築家として国内外で活躍されていることは、共通の友人を通じてずっと耳にしていました。率直に、すごい方だなと思っていましたね。

細尾:光栄です。そういったご縁もあって、洛和会が看護学校の新校舎を建設するという大きなプロジェクトを立ち上げることになった際に、お声がけくださったと。

矢野:そうなんです。誰にこの大役を託すかと考えた時、真っ先に頭に浮かんだのが、旧友であり、京都の伝統や現代性を誰よりも深く理解している細尾さんの顔でした。ご実家である西陣織の老舗『HOSOO』の店舗リニューアルなどを手掛けているのも知っていましたし、細尾さんの意匠性の高いデザイン、その卓越したセンスは間違いないと確信していましたから。

細尾:そういえば最初は、理事長から「学校を新しくするんだけど、どうしたらいいと思う?」という、ごく個人的な相談のような形でお話をいただいたんですよね。その時は、私自身がやるとは全く思っていなくて、あくまで幼なじみとして、どうすればより良くなるかを一緒に考えた、という感覚でした。その中で、「やるのであればいろいろな建築家のアイデアを募る指名コンペ形式がいいのではないか」と提案させていただいた。最終的には、ありがたいことに私自身もそのコンペに参加する機会をいただき、光栄なことに選んでいただいた、という経緯ですよね。

矢野:そこからですね、京都・四条烏丸のスターバックスで、毎週のように膝を突き合わせる日々が始まったのは(笑)。未来の学び舎について、何時間も、本当に何時間も語り合いました。それは単なる施主と建築家の関係を越えて、私たちの少年時代からの友情が、未来の担い手を育むという大きな使命へと昇華していく、長い対話の始まりだった気がしています。

 

逆境から生まれた“挑戦の原点”を、未来へとつなぐ

矢野:正直に言うと、新校舎の建設計画が持ち上がった当初、私を含め、役員や幹部のほとんどは反対だったんです。というのも、時はコロナ禍。少子化が叫ばれ、教育部門の経営は決して楽ではない。そんな中で、なぜ巨額の投資をしてまで学校を建て替える必要があるのか。それは、経営判断としては至極当然の反応だったと思います。

細尾:そんな状況下で、新校舎のプロジェクトを推進する決め手となったのは何だったのでしょう?

矢野:当時の理事長であり、現会長である父の「やらねばならない」という固い決意でした。その背景には、40年前に遡る洛和会の挑戦の歴史が深く関わっています。この看護学校は、我々にとって単なる教育施設ではなく、“挑戦の原点”そのものなんです。

細尾:挑戦の原点、ですか。

矢野:ええ。40年前、初代である祖父が洛和会音羽病院の建築中に急逝し、父が後を継ぎました。当時の音羽病院は、主に高齢者を対象とする老人病院として運営されていましたが、父は地域医療の未来を見据え、救急医療を受け入れる病院への転換と病床数の拡大を決意。そのために必要だったのが、まさに人材の確保であり、父が下した次なる決断が、「それなら自分たちで学校を作ろう」という、さらなる挑戦だったのです。こうして1985年、京都府下で民間病院が運営する唯一の看護学校として、洛和会京都看護学校は誕生しました。それは、どんな状況からでも自ら道を切り拓く、洛和会のスピリットを象徴する出来事だったとも言えます。

細尾:そういう歴史があったんですね。

矢野:それから40年、校舎は老朽化し、机や椅子も旧態依然としたものに。建て替えの話が出た時、私たちは再び原点に立ち返り、自問自答しました。「この困難な時代に、この学校を存続させる意味は何か」と。オンラインで知識を学ぶことはできます。日本で一番教えるのがうまい先生の授業だって、デジタル上で受けられます。でも、それだけでは育めないものがあるんです。人がリアルに集うからこそ生まれる、楽しいこと、ぶつかり合うこと、喜怒哀楽のすべて。それこそが、学校という学び舎の本質ではないでしょうか。特に、人の命と心に深く寄り添う医療従事者を育てる上で、その経験は絶対に不可欠です。

細尾:まさに、この建築が担うべき役割だと感じます。

矢野:おっしゃる通りです。看護師不足が続く中で、自前で教育機関を持つことの戦略的利点。そして何より、自ら道を切り拓いていける人を、リアルな学びの場で育くみ、そして社会に羽ばたかせていくことの意義。それら全てが、当初の反対意見を乗り越え、プロジェクトを推進する力となりました。父は、完成していた病院を継ぎ、その直後に学校という新しい挑戦を始めました。そして奇しくも、私も理事長としてゼロから関わる最初の大きな建築プロジェクトが、この看護学校になった。父がどこまで意図していたかは分かりませんが、結果として同じ状況になったことに、不思議な縁、一種の宿命のようなものを感じています。この建物は、いわば法人のスピリットであり、私の3代目としての思いが詰まった、まさに挑戦の象徴なんです。

 

 

新校舎に込めた“モニュメント”としての役割

細尾:改めて、そういった洛和会としての歴史や強い思いを伺うと、この新校舎の設計にあたって中心に据えていたコンセプトに、やはり間違いはなかったなと感じます。

矢野: “モニュメント”、ですよね。

細尾:はい。モニュメントというと、王様の城のような威圧的なものを想像しがちですが、本来の意味は“思い起こさせるもの”。学生たちがここで過ごす3年間は、人生で最も密度が濃く、かけがえのない時間になるはずです。卒業して社会に出て、困難に直面したとき、ふとこの場所を、ここで過ごした日々を思い出す。そんな彼らの記憶の背景となり、原点として想起されるような存在。それがこの建築が果たすべき役割だと、私は考えました。

矢野:そういった思想は、まさにこの新校舎の随所に具体的に表現されていますよね。特に国道に面したファサードは印象的です。

細尾:あの外観は、旗(フラッグ)をイメージしています。旗は、カーナビの目的地マークのように、居場所やアイデンティティを示すシンボルですよね。この場所が、学生たちにとっての、そして地域にとっての拠り所となるように。また、この医療法人が掲げる理念の旗印となるように。そんな思いを込めて、他にはない、この場所だけの固有の表情を作りたかったんです。

矢野:建物内部に入ったときの、大きな窓から見える東山の山並みも素晴らしい。あれも意図的なものですか?

細尾:ええ。天智天皇陵のある御陵(みささぎ)の山並みは、何百年も変わらない普遍的な風景です。普段は意識しなくても、勉強の合間にふと窓の外を見たとき、この雄大な自然が目に入る。そうした何気ないけれど、かけがえのないシーンが、学生たちの記憶の片隅に、美しい思い出として残ってくれたらいいなと。

矢野:私からは、学生たちが自然に集える場所をできるだけ多く作ってほしい、とお願いしたことを覚えています。

細尾:いわゆるサードプレイスですね。教室や実習室といった目的のはっきりした空間だけでなく、何をするでもなく過ごせる居心地の良い余白を、建物のあちこちに散りばめてほしいと。このご要望は、私自身も非常に重要なものだと感じました。特定の機能に還元できないような居場所を学校のいろんな場所に設けることで、学生同士の偶発的なコミュニケーションが生まれたり、一人で静かに過ごしたり、より豊かな学校生活が送れるようになりますから。加えて重要視していたポイントを挙げるとするなら、公共性です。この学校は、一医療法人の施設であると同時に、地域社会の公共財産としての側面を持つべきだと考えました。建物そのものが地域の景観に貢献することはもちろん、図書館や講義室など、一部の機能を地域に開くことで、学生だけでなく、地域の方々が集い、交流し、新しい関係性が生まれるメディアとしての役割を果たせる。この新校舎は、その器にもなれるのではないかと。ちなみに、理事長は図書館にも強いこだわりがありましたよね?

矢野:そうですね。そこにいるだけで勉強がしたくなる、知的好奇心が刺激されるような、そんな図書館にしてほしい、とお願いしました。教室は勉強効率が最優先ですが、図書館だけは別。実用性よりも、居心地の良さや心が豊かになる感覚を大切にしたかったんです。床に敷かれた絨毯は、いくつもの候補の中から、高級ホテルに入っているような最も心地よい肌触りのものを、予算度外視で選びました。

細尾:完成した図書館には、私自身も特別な手応えを感じています。設計段階の模型やCGでの検討を重ねましたが、実際にできあがったときの空気感、光の入り方、静けさは、まさに奇跡のように感じました。そしてうれしいことに、理事長だけでなく、ここを訪れる多くの人が同じように感じてくださる。これは建築家として最高の喜びです。

京文化から見る、医療と建築の共通点

細尾:この新校舎建設プロジェクトを貫く「余白」や「公共性」といったキーワードは、私たちが生まれ育った「京都」という土地の文化と深く結びついているようにも感じます。京都という街は、古くから多様な人々を受け入れてきた歴史がありますし、異なる文化や価値観を持つ異人たちが常に行き交う中で、共存するための知恵として、つかず離れずの絶妙な間合いが育まれてきた。それは、多様性を受け入れるための作法であり、他者を尊重する精神の表れだとも思います。

矢野:まさにその通りですね。価値観で言うなら、京都の経営者に共通するものとして、「恥ずかしいことはしたくない」という意識が強くあると思っています。たとえ法律的に問題がなくても、人として、この街の一員として、恥ずかしい行いはできない。それは、今さえよければいいという短期的な考え方ではなく、過去から受け継いだものを、より良い形で未来へとつないでいくという責任感の表れです。我々が今預かっているものを、次の世代、さらにその次の世代へとつないでいく。その長い時間軸の中で物事を考えるのが、京都らしさかもしれません。

細尾:長い時間軸での視点は、私の建築哲学にも通じます。建築も、本来は何百年というスパンで存在するものです。その中で、私たちが果たすべきは、人を癒やし、安心感を与えるという根源的な役割。それは奇しくも、医療が目指すものと全く同じだと感じています。人間にとって、物陰というのは安心できる場所ですよね。建築の原点は、その安心できる物陰を人工的に作ることにある。医療と建築は、人間に“安心”というベーシックなインフラを提供するという点で、深くつながっていると感じています。

矢野:それこそ、病院建築の思想を刷新した存在でもあるナイチンゲールは、19世紀にすでに「清潔さだけでなく、窓からの眺めや花の存在といった療養環境そのものが治癒につながる」と説いていました。この言葉こそ、まさに我々が目指すべき方向を示唆してくれているように感じます。

細尾:ナイチンゲールの本は、このプロジェクトを始めるにあたって理事長にお勧めいただき、精読しましたね。非常にモダンな思想で、建築と医療がいかに密接に関わっているかを再認識させられました。

矢野:我々がこの学校で提供したいのは、単なる知識や技術の詰め込み教育ではありません。人の感情に寄り添い、共感する力を育むこと。うれしい時に共に喜び、悲しい時に共に悲しむ。その豊かな人間性を育むためには、効率一辺倒ではない「余白」に満ちた環境が必要不可欠なんです。この新校舎は、そのためにも大切な場だと考えています。

 

未来の担い手たちへのメッセージ

細尾:この新しい学び舎から、未来へと羽ばたいていく学生の皆さんへ。私が伝えたいのは、学生時代の看護学科3年間と助産学科1年間は、人生において最も貴重で、かけがえのない時間だということです。だからこそ、とにかく「全力」で生きてほしい。この建築が、その全力の日々を支え、記憶に残る美しい背景となることができれば、それ以上にうれしいことはありません。

矢野:私から学生たちに伝えたいのは、一言、「異端であれ」ということです。平たく言えば、常に挑戦し続けろ、ということ。この学校自体、前述の通り、常識や前例を打ち破る「異端」の塊として生まれてきました。だから、ここで学ぶ皆さんにも、一般論や標準、慣例といった枠に決してとらわれず、自分が最良だと信じる道を力強く突き進んでほしい。もちろん、そのためには人一倍の知識や経験、そして深い思考が必要ですが、そのための学びの場は、ここにあります。誰かの真似ではなく、皆さん自身の最良を、この場所で見つけ、磨き上げてほしいです。

細尾:それこそが、洛和会が掲げるパーパス「やさしい社会を創造する。」ための、具体的な方法論でもあるわけですよね。

矢野:その通りです。我々は、「やさしい社会」をただ目指しているのではなく、「創造する」と言っています。それは、私たちが先頭に立って、この社会をより良い方向へ作っていく、旗を振っていくんだという強い意志の表れ。その旗を共に持ってくれる仲間を、私たちはここで育てたいんです。

細尾:多様な背景を持つ人々がこの場所に集い、この「余白」に満ちた空間で互いを尊重し、深く学び合う。そうして育った一人一人が、卒業後、社会に出て、それぞれの場所で「やさしい社会」を創造していく。その連鎖が、やがては世界を変える大きな力になる、と。

矢野:ええ、そう信じています。

細尾:私も、教育と建築が美しく交差するこの場所が、未来の医療を担う人材を育てるだけでなく、より良い社会を創造するための希望を育む場所になることを、心から願っています。

矢野:ありがとうございます。この新校舎はきっと、これから始まる無数の物語を、静かに、そして力強く包み込んでくれる場所になるはずです。
開校から1年。
この学び舎にはすでに、学生たちの学びや交流が息づき始めています。

設計時に語られた「余白」や「公共性」という思想は、日々の営みの中で少しずつ形となり、ここでの経験は、未来の医療を担う力へとつながっていきます。

 

 

Profile
HOSOO architecture
代表 ⼀級建築⼠
細尾 直久 / NAOHISA HOSOO
1981年ミラノ生まれ、京都育ち。近畿大学国際人文科学研究所で学び、理工学部建築学科を卒業後、ミラノ工科大学へ留学。帰国後、David Chipperfield Architectsでの勤務を経て、2015年にHOSOO architectureを設立。建築家として「織物を建築の原点」とする思想を持ち、多様な職人技や素材の質感を空間に織り込むデザインを志向。代表作に「HOSOO FLAGSHIP STORE」など。伝統工芸・西陣織の美を現代空間に蘇らせ、素材・テクスチャー・製法の再解釈を通じて、地域・文化・未来をつなぐ建築を実践している。

 

洛和会ヘルスケアシステム
理事長 医師
矢野 裕典 / YUSUKE YANO
1981年生まれ、帝京大学医学部卒業後、臨床研修や介護の現場を経験。2019年に洛和会副理事長、2022年に理事長に就任。「やさしい社会を創造する。」をパーパスに掲げ、病院・介護・保育・障がい福祉を包括的に展開し、地域社会に根差したヘルスケア体制を推進。経営の透明性や現場目線を重視し、患者・利用者・職員が尊重し合う環境づくりに注力している。働き方改革や人材育成にも力を注ぎ、医療・福祉の持続可能なモデル構築を目指している。

 

 

 

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