車いすバスケ女子カクテル藤原芽花選手
車いすバスケットボール日本代表・藤原芽花さんが描く、境界線のない未来
スポーツへの情熱が導いた、運命的なチームとの出会い
東京2021・パリ2024パラ五輪日本代表 北田千尋選手
東京2021・パリ2024パラ五輪日本代表 清水千浪選手
北京2008・東京2021・パリ2024パラ五輪日本代表 網本麻里選手
東京2021・パリ2024パラ五輪日本代表 柳本あまね選手
パリ2024パラ五輪日本代表 小島瑠莉選手
東京2021パラ五輪日本代表 北間優衣選手
「世界基準」の日常が、自分を成長させてくれた
―― 先日のアジアオセアニア選手権(AOC)では、初めて日本代表のユニフォームを着て戦われました。緊張はされませんでしたか?
藤原: 緊張よりも、楽しさでアドレナリンが全開でした(笑)。いつもなら届かない距離からシュートが打てたりして、周囲から「落ち着け」と言われるほどテンションが上がっていました。2週間、本当に純粋に楽しかったというのが一番の感想です。
―― 若手として、ベテラン選手も多い代表チームで得たものは何でしたか。
藤原: 「オンとオフの切り替え」の凄さです。試合や練習では白熱していても、一歩コートを出れば笑顔で冗談を言い合う。そのメンタルのコントロールが、ギリギリの戦いの中でパフォーマンスを出し続ける秘訣なのだと学びました。 また、普段から「カクテル」※車いすバスケチームで世界トップレベルの先輩たちと日常的にマッチアップしているおかげで、国際大会の場でも、海外選手の高さや速さに過度に驚くことなく、自分のプレーを出すことができました。
絶望の「グレーな期間」を救ってくれた、仲間の存在
―― 藤原さんは怪我の後、障害者手帳を取得するまでに1年ほどかかったと伺いました。その時期は精神的にも辛かったのではないでしょうか。
藤原: そうですね。手術は成功したものの、足が思うように動かない。「自分はもう歩けない」と直感していましたが、医師からは「いつか歩ける」と言われ続けるという、ギャップのある「グレーな期間」が1年ほど続きました。 どう過ごしていいか分からず、車いすも自分で漕げることすら知らない状態で退院したんです。でも、パラスポーツの場へ行くと、みんな当たり前に自分で車いすを操って、段差を乗り越え、電車の乗り方まで教えてくれる。
―― バスケだけでなく、車いすでの「生き方」を教わったのですね。
藤原: まさにそうです。先輩たちが自立して生活している姿を見て、「知らないからできないだけで、術を知れば自分もできるんだ」と救われました。もしスポーツに出会っていなければ、私は今も誰かに車いすを押してもらうだけの生活をしていたかもしれません。
JWBF第32回あじさい杯争奪 女子車いすバスケットボール大会カクテル優勝(2026年6月14日)
境界線を溶かし、「やさしい社会」をデザインする
―― 現在は佛教大学の職員として働きながら、学内に車いすバスケットボール部を設立されるなど、普及活動にも尽力されています。
藤原: 大学という場所は、社会に出る一歩手前の、自由な選択ができる貴重な期間です。そこに当たり前にパラスポーツという選択肢を置きたい。 障害者を「かわいそうな人」と思って社会に出るのと、学生時代に一緒にスポーツを楽しんだ仲間として社会に出るのでは、その後の意識が全く違います。パラスポーツが「特別」なものではなく、一つのスポーツとして溶け込んでいる状態を作りたいんです。
―― 最後に、藤原さんが考える「やさしい社会」へのヒントを教えてください。
藤原: 「人に聞く」ことを大切にしたいです。例えばバリアフリー一つとっても、車いすの人には良くても視覚障害の人には使いにくいといったことが起こります。すべての人に100%の正解を出すのは難しいからこそ、頭でっかちにならず、「これってどうかな?」と当事者に聞ける関係性が大切だと思うんです。 「試しにこの空間を使ってみて」と言われるのは、私にとってはとても嬉しいことです。お互いに歩み寄り、ちょうどいいサポートの形を一緒に見つけていく。そんな小さな対話の積み重ねが、境界線のない社会を作っていくのだと信じています。
Profile 藤原 芽花(ふじわら めいか)
2001年生まれ、京都府出身。2025年佛教大学教育学部臨床心理学科卒業。在学中に車いす生活となり、2023年より本格的に車いすバスケットボールを開始。強豪チーム「カクテル」に所属。2025年11月、日本代表としてアジアオセアニア選手権に出場し準優勝に貢献。現在は佛教大学職員として勤務する傍ら、2028年ロサンゼルス・パラリンピック出場を目指し、パラスポーツの普及活動にも精力的に取り組んでいる
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