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「やさしい社会を創造する。」この⾔葉の思いと、⽬指す未来

2025.11.14

はじめまして、洛和会ヘルスケアシステムの理事⻑を務める⽮野裕典です。

 

戦後間もない京都で、祖⽗がたった⼀⼈で始めた「⽮野医院」。それが、私たちの原点です。そこから⽗が受け継ぎ、今では200を超える施設数となって、6,600⼈以上の仲間たちとともに、地域の医療や介護、保育を⽀えています。

 

三代⽬として私が新たに掲げたのは、「やさしい社会を創造する。」という⾔葉。なぜ、今この⾔葉なのか──。そこには、私が祖⽗や⽗から受け継いできたもの、そしてこれから仲間たちと創り上げていきたい、未来への強い思いが込められています。

 

今⽇は、そのすべてを私⾃⾝の⾔葉で、率直にお話ししたいと思います。

祖⽗と⽗の「狂気」。その反⾻⼼こそが私の原点

洛和会を語る上で、創業者である祖⽗ ⽮野宏と、2代⽬である⽗ ⽮野⼀郎の存在は⽋かせません。⼆⼈の共通点は何かと聞かれたら、私は迷わず「狂気じみてる」と答えます。もちろん、尊敬を込めてですよ(笑)。常識に囚われず、道を切り拓いてきたエネルギーは、正直⾔って常軌を逸していました。

 

祖⽗はもともと丹波篠⼭の出⾝で、当時は医者よりも軍⼈が偉い時代。「医者になるくらいなら腹を切って死ね」と、ひいお爺さんから⽇本⼑で追いかけ回されたそうです。それを村の⼈たちが⽌めてくれて、ようやく⼤学に⼊ることができた。まさに命からがらの茨の道でした。

 

その反動か、医者になった祖⽗の「⼈を救いたい」という思いは純粋で、志を貫く強さや、どこか尊い気⾼ささえあったように思います。当時、新しい病院を建てようとすれば猛反発を受け、病院の⼊⼝に⽑⾍を撒かれたこともあったそうです。しかし、そんなことで怯むような⼈ではない。「ガソリン持ってこい!」と叫び、⾃ら⽕をつけて燃やしてしまったという逸話もあるくらいです。

 

⽗も同じです。祖⽗とは意⾒が合わず、勘当同然で家を出て⾃らの道を貫く形で医師となった⽗でしたが、祖⽗が亡くなった後には、たった⼀⼈でこの祖⽗が築き上げた⼤きな組織を引き継いでみせました。

 

とにかく⼆⼈とも、体制にくみしない「チャレンジャー」だった。社会の常識やしがらみに屈することなく、⾃らが正しいと信じる医療、理想の形を追い求める。その激しいまでの情熱と反⾻⼼こそが、私たち⽮野家に受け継がれるDNAなのだと思っています。私も多分、ノーマルではないでしょうね。この⾎を受け継いでいるわけですから。

偉⼤な⽗の背中を追う宿命。この⽴場を「幸せ」と思う

こんな強烈な祖⽗と⽗の後を継ぐのは、もちろんプレッシャーがなかったわけではありません。でも、誰かに「⼤変でしょう」と聞かれると、私は決まって「幸せですよ」と答えるんです。

 

⽗は、直球しか投げない⼈間でした。裏表がなく、⾃分が儲かるとか、組織が儲かるとかではなく、「世の中にとって何が⼀番いいか」「困っている⼈のために何が必要か」、それだけを考えて突き進む。⼦育て⽀援を始めた時も「⼦どもたちは、未来を担う存在。その⽀援をするのは、地域を⽀える組織として、⾄極当たり前のことだ」と。そこには⼀切の私欲がない、本当にまっすぐな⼈でした。

 

幼い頃から、その⼤きな背中を⾒続けてきました。反発することもたくさんありましたが、同時に憧れてもいました。私にとって祖⽗や⽗は、有名な経営者やロックスターと同じ、憧れの対象なんです。6,600⼈もの職員とその家族の⽣活を背負っているわけですから、もちろん責任は重⼤です。でも、それ以上に、彼らが築いてくれたこのフィールドで、⾃分の理想を追い求められることが、私は「幸せ」なんです。

 

その根底には、⽗から受け継いだもう⼀つの⼤切な教えがあります。⽗はよく⾔っていました。「お前たちも家族だが、うちの職員とその家族も私の家族だ。だから守らなあかん。職員あっての法⼈であり、職員あっての⽮野家なんだ」と。この⾔葉は、私の経営の原点です。だからこそ、まず職員が⼼⾝ともに健康で、⽣活も豊かになってほしい。その思いは誰よりも強いと⾃負しています。

 

事業や財産だけではない、社会への責任、そしてともに働く仲間への深い愛情。それら全てを背負う覚悟が、私にとっての「幸せ」なのかもしれません。

組織の壁を壊し、「洛和会をこの街に溶かす」

⽗が築いた洛和会ヘルスケアシステムは、医療・介護・保育といったあらゆるサービスをグループ内で完結できる、いわば⾃⼰完結型の巨⼤な組織でした。でも、私はその在り⽅を変えたい。「洛和会を街に溶かしていく」。それが私のビジョンです。

 

⽗の時代は、全てを「病院」を中⼼にして考えていました。病院が活躍するために介護施設があり、リハビリ施設がある。だから、どうしても「洛和会の中」で完結してしまっていたんです。でも、私はこれをまさに「まちづくり」だと捉え直しました。これからの時代、特に⼈⼝減少に伴い、働き⼿も減少していく中で、⼀つの組織が全てを抱え込むのは限界がある。だから、私の仕事は、この⼤きな洛和会という組織を、意図的に地域に溶かしていくことだと思っています。

 

「溶かす」というのは、単なる地域貢献活動ではありません。洛和会が持つ専⾨性やリソースを、地域の他の法⼈や⾏政、住⺠たちと積極的に共有し、連携していくことです。組織の境界線を曖昧にし、洛和会が「ハブ」となって地域全体の機能を⾼めていく。壮⼤に聞こえるかもしれませんが、本気でそう考えています。

 

連携することで、我々が全ての事業をやる必要はなくなります。でも、我々がいないと、この地域の連携は成り⽴たない。そうなれば、交通も、医療も、介護も、保育も、障がい福祉も、洛和会というハブなしでは動かなくなる。最終的には、それが法⼈としての最⼤の強みになるはずです。パイが⼩さくなる時代だからこそ、戦って奪い合うのではなく、溶け合うことで全体を豊かにしていく。これは、⽗とは違う、私なりのやり⽅です。

分断の時代に掲げる「やさしい社会を創造する。」という旗印

私がこのパーパスを掲げたのには、強い思いがあります。もちろん「いのちを⾒つめ、⼈間を⽀える」という理念も⼤切です。でも、今の分断された社会を⾒ていると、もっとシンプルで、みんなの⼼に届く⾔葉が必要だと感じたんです。

 

「やさしい」という⾔葉を選んだのは、それが私⾃⾝に⼀番しっくりくる⾔葉だったからです。そして、職員たちが⾃らの⾏動に落とし込みやすいとも考えました。私⾃⾝が優しくなりたいし、職員にも優しい⼈であってほしい。何より、まず我々の組織の中が「やさしい社会」にならなければ、患者さんや利⽤者さんに本当の優しさは提供できないと思うんです。お客様が⼀番⼤切なのは当然ですが、それと同じくらい、隣で働く仲間も⼤切にする。その思いをこの⾔葉に込めました。

 

そして「創造する」という⾔葉には、我々の強い意志が込められています。優しさは、誰かが与えてくれるものではない。我々⾃⾝が、主体的に「つくる」ものだという強い意志です。このパーパスに共感できない⼈は、別に他の法⼈で働けばいい。でも、医療や介護に携わる⼈の多くは、その⼼を持っているはずです。だから、この旗印を掲げれば、みんなが同じ⽅向を向いて進んでいけると信じています。

 

混沌とした時代だからこそ、羅針盤が必要です。組織の⼤⼩や職種の違いを超え、全職員が共有できる価値観。この旗印のもと、我々は新たな航海へと乗り出したのです。

10 年後、この街が笑顔で溢れるために、今やるべきこと

「じゃあ、いつその社会が実現するんだ」と聞かれたら、私は「10年後だ」と答えています。そのための具体的な計画も、もちろんあります。

 

まず、⾳⽻病院に新棟を建て、外傷センターを⽴ち上げます。これは交通事故だけでなく、これから急増する⾼齢者の⾻折に対応するためです。迅速な⼿術とリハビリで、寝たきりを防ぎ、在宅での⽣活に戻れる⽅を⼀⼈でも増やす。脳卒中やがん治療も同じです。⾼度な医療を、わざわざ遠くの⼤学病院まで⾏かなくても、これまで通り⾝近な地域で受けられ、さらに充実させていきます。病院での治療はあくまで⼀時期。その後の⻑い在宅⽣活まで含めて⽀えることで、その⼈らしい⼈⽣を⽀えたいんです。

 

そして、その全ての根幹をなすのが「⼈」、つまり「教育」です。本年4⽉に新築移転した看護学校は、その象徴と⾔えます。医療の質を上げるには、⼈を育てるしかない。我々にとっての宝は、「⼈」なんです。学校で基礎を学び、病院で経験を積み、8年後には⼀⼈前の専⾨職になる。そして、結婚や出産といったライフステージの変化に合わせて、急性期病院だけでなく、回復期リハビリテーション病院や介護施設、訪問看護など、グループ内の多様な職場で働き続けられるキャリアパスを⽤意する。職員が安⼼して成⻑し、働き続けられる環境をつくることが、私の最⼤の使命です。

 

私が思い描く10年後の姿。それは、洛和会の職員も、サービスを受ける地域の⼈々も、誰もが笑顔で暮らしている⾵景です。うちの職員が、⾳⽻病院の産婦⼈科で⽣まれた我が⼦をうちの保育園に預け、その⼦が成⻑してうちの看護学校に⼊り、また職員になる。そんな幸せな循環が⽣まれている。職員の幸せが、ニアリーイコールで地域の幸せになっている。そんな社会をこの⼿で創造したい。それが私の夢であり、⽬標です。

最後に、地域の皆さんと、ともに働く職員のみんなにメッセージを送らせてください。

 

地域の皆さん、どうか困ったことがあれば、遠慮なく我々を頼ってください。体がしんどい時は病院へ。介護で悩んだら施設へ。⼦育てに困ったら保育園へ。我々には、それに応える覚悟と、具体的なサービス、そして思いをともにしている仲間がいます。存分に、我々を頼ってください。

 

そして職員のみんなへ。この「やさしい社会を創造する」という旗印のもと、⾃分の⽴場で何ができるかを考え、200%の⼒で仕事に取り組んでほしい。⼀緒に、この街をもっと良い場所にしていきましょう。

 

創業者の「狂気」を受け継ぎながら、三代⽬の私は「やさしさ」という新たな価値を掲げます。この挑戦が、洛和会という⼀つの組織を超え、京都の、そして⽇本の未来を照らす光となることを、⼼から願っています。

Profile
洛和会ヘルスケアシステム
理事⻑ 医師
⽮野裕典 Yusuke Yano
1981年⽣まれ、帝京⼤学医学部卒業後、臨床研修や介護の現場を経験。
2019年に洛和会副理事⻑、2022年に理事⻑に就任。「やさしい社会を創造する」を掲げ、病院・介護・保育・障害福祉を包括的に展開し、地域社会に根差したヘルスケア体制を推進。経営の透明性や現場⽬線を重視し、患者・利⽤者・職員が尊重し合う環境づくりに注⼒している。働き⽅改⾰や⼈材育成にも⼒を注ぎ、医療・福祉の持続可能なモデル構築を⽬指している。