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“分断”を乗り越え、やさしさが溶け込んだ社会へ

2026.01.16

「マイノリティのニーズを起点に、当事者とともに開発プロセスを進め、新たな価値創造につなげること」を目指す、インクルーシブデザイン。この考えに基づき、障がいの有無に関わらず、ともに使える子ども向けのプロダクトブランド『IKOU(イコウ)』を手がけているのが、株式会社Halu代表の松本友理さんです。一方、「いのちを見つめ、人間を支える」を理念に掲げ、医療を基点としてやさしさが通い合う社会を目指しているのが、洛和会ヘルスケアシステムの理事長 矢野 裕典。アプローチは異なりますが、二人の思想や目指すビジョンには、多くの共通点があるように思えます。現代社会に潜む“分断”という違和感を乗り越え、やさしさを社会全体に溶け込ませていくためには、何が必要なのか──。今回は、それぞれの立場から社会課題と向き合うお二人に、「やさしさが溶け込んだ社会へ」をテーマに語り合っていただきました。

実体験を通じて感じた『IKOU』の素晴らしさ

矢野:松本さんとこうしてお話しできるのを楽しみにしていました。実は私たち、不思議なご縁でつながっているんですよね。

松本:そうですね。まさか私の夫が、矢野理事長と幼稚園、小学校の同級生だったとは、初めて聞いた時には驚きました。私自身にとっては、京都を代表する大病院の理事長という、どこか遠い存在に感じていましたから。夫を通じて、私が手がけるプロダクトブランド『IKOU』の活動に矢野理事長が関心を持ってくださっていると伺った時は、本当にうれしかったです。

矢野:ちなみに、プロバスケットボールチーム『京都ハンナリーズ』の元社長であった森田鉄兵さんも、私とご主人との幼稚園からの同級生でして。彼が以前からIKOUさんの活動をよく知っていて、「様々なスポーツチームの試合会場でもIKOUの製品が使われているんだよ」といった話を耳にしていました。洛和会も彼とは付き合いがありましたから、そうした実践的な活動を踏まえた上で紹介を受け、IKOUのチェアならびにそのコンセプトに、より一層興味を持ったという経緯があります。

松本:そうだったんですね。実際に、今では洛和会さんの施設でも、IKOUポータブルチェアを導入していただき、とても感謝しています。

矢野:はい、今年の4月に新しく開所した、重度の心身障がいあるお子さんを受け入れる施設で使わせてもらっています。実は、うちの3歳になる子どもも、IKOUさんの製品を使ったことがあるんですよ。東京でバスケットボールの試合を観戦した際、会場にIKOUさんのチェアが設置されていて。それに座り、親子でのびのびとバスケットボールを観戦できた時、これは障がい有無に関係なく、多くの子どもたちが使える素晴らしいものだなと実感したんです。だからこそ、私たちの施設でも導入できたことは、個人的にも非常にうれしく思っています。

 

場やモノの分断が、人の分断を生む社会構造

矢野:松本さんがIKOUを立ち上げられた背景としては、やはり息子さんの存在が大きかったと伺っています。社会に対し、どのような課題や障壁を感じられたのか、差し支えない範囲で改めて伺えますか。

松本:はい。息子が生まれ、障がいがあることがわかった時には、正直なところ「なんだか、今までとは違う世界に来てしまった」というのが最初の感覚でした。今振り返れば、なぜそう感じてしまったのかがよく分かります。なぜなら、それまでの私は障がいのある方と関わる機会がほとんどなく、無意識のうちに「遠い世界の人」だと思ってしまっていたんです。

矢野:松本さんに限らず、そういった方は決して少なくないと思います。

松本:そうですね。その根源にあるのは、社会の“分断”だと思っています。障がいのある子とない子では、遊ぶ場所、学ぶ場所、そして大人になった時の働く場所まで、生活のあらゆる場面がそもそも分かれている。その存在自体を認識する機会も、関わる機会も極端に少ない。だからこそ、遠い存在に感じてしまう。この根深い構造的な課題を、私は息子との生活を通じて痛感しました。

矢野:日常生活の中で、特にその分断を強く感じたのはどんな時でしたか。

松本:IKOUのポータブルチェアを開発する直接のきっかけにもなったのですが、日常生活で当たり前に使えると思っていたものが使えない、という場面に何度も直面したんです。例えば、家族でレストランに行った時、お店には当たり前のようにキッズチェアが備え付けてありますよね。でも、息子は体幹が弱いので、普通の椅子では体が支えきれず、倒れたり滑り落ちたりしてしまうんです。そうなると、ベビーカーのまま入店するしかありません。でも、今度は「この大きなベビーカーで、お店の迷惑にならないだろうか」「通路は通れるだろうか、段差はないだろうか」と、いろんなことを事前に細かく調べないと、気軽に出かけることすらできない。「あそこに行きたいな」とふと思っても、すぐには行動に移せないんです。

矢野:「行きたい場所」ではなく、「行ける場所」を選ばざるを得ない状況になる、と。

松本:おっしゃるとおりです。そうすると、だんだんと多くのことを諦めてしまうようになる。障がいのある側も外に出ることをためらってしまい、結果としてその存在がさらに社会から見えにくくなる。そういった社会構造があるのではないかと感じました。この経験は、私がIKOUを始めた大きな原点でもあります。トヨタ自動車でプロダクト開発に携わっていた頃を振り返っても、自分が手がける製品を「使えない人がいるかもしれない」という視点は、正直なところありませんでした。生活の場や使うものが“分断”されているがゆえに、そもそもその困りごとに“気付けない”。それが、今の社会が抱える大きな課題だと感じています。

地域医療にも存在する、見えない壁

松本:矢野理事長は医療法人経営の最前線に立たれていますが、日々の医療の現場においても、そういった社会の分断を感じることはあるのでしょうか。

矢野:松本さんのお話は、実は私たちが医療の現場で感じている課題とも、深く通じる部分があります。例えば、日本の医療は、誰もがどこでも医療を受けられる国民皆保険制度が前提となっています。世界的に見れば、公平に医療が提供されている国だと言えるでしょう。しかし、現実はそう単純ではありません。例えば、都市部と地方の格差。地方では、そもそも通える範囲に医療機関がなくなってきているという深刻な問題があります。もっと身近な話をすれば、ここ京都市山科区という政令指定都市の行政区内ですら、分断は起きているんです。独居の高齢者の方が、病院まで行くための交通手段がない。あるいは、地域コミュニティから孤立してしまい、誰にも助けを求められない。我々医療機関側がどれだけ「いつでもどうぞ」と門戸を開いていても、そこにたどり着けない人が大勢いる。これこそが、医療現場における深刻な分断だと感じています。

松本:医療そのものだけでなく、そこにアクセスするまでのプロセスに、見えない壁があるのですね。

矢野:その通りです。そして、医療、介護、福祉といった領域自体も、それぞれが独立して機能しているケースが多く、本来つながるべきサービスが分断されているのが現状。例えば、お子さんが障がいを持って生まれた場合で言えば、NICU(新生児集中治療室)を退院されてからが、本当の生活の始まりですよね。その後のリハビリや通える施設、保育園といった情報が、医療機関とシームレスにつながっていなければ、ご家族は途方に暮れてしまうはずです。

松本:まさに、おっしゃる通りです。

矢野:だからこそ、私たちは単なる「洛和会病院」ではなく、「洛和会ヘルスケアシステム」という名前を掲げています。そして、治療だけでなく、その後の生活までを包括的にサポートする体制を目指しているんです。治療という“点”だけでなく、退院後の在宅サービスや施設利用といった“線”で支えること。治す、治らないという0か1かの話ではなく、その人の生活や、生きることそのものに寄り添うこと。それが私たちの務めであり、洛和会の強みだと考えています。

松本:包括的なサポート体制こそが、本当の意味での安心感につながるのですね。

矢野:ちなみに、その中でも私たちが特に重視しているのが「断らない救急」です。24時間365日、救急車の受け入れ要請があれば、ほぼ100%に近い割合で受け入れています。これは、地域社会に対する私たちの結果であり、約束。「夜中でも、何かあったら洛和会に行けばちゃんと診てもらえるはずだ」という信頼感こそが、地域における最大の安心感につながると信じています。まずは命を救うという医療の根幹を徹底的に全うすること。その上で、生活に寄り添うケアへとつなげていく。この両輪があってこそ、本当の意味での安心が生まれるのだと思います。

誰しもの心の中にある“やさしさ”

松本:矢野理事長のお話にも、私の活動にも、根底には“やさしさ”という共通の想いがあるように感じます。今日の対談のキーワードとも言えそうですが、矢野理事長にとって、この“やさしさ”とはどのようなものでしょうか。

矢野:非常に難しい問いですね。ただし、この問いを問い続けること自体が、私たちがこの事業を行う意義だとも思います。私自身も、職員も、日々「やさしさとは何だろう」と自問しながら仕事に向き合う。そして、それぞれが自分なりの答えを見つけていく。そのプロセスこそが重要だと捉えています。あえて、それを言語化するのであれば、“相手を思うこと”でしょうか。例えば、私は障がいのあるお子さんを持つご家族の気持ちを、本当の意味で、100%理解することはできません。ですが、全身で、心で、深くその状況を想像し、感じ、考えることはできる。それもまた、一つのやさしさの形だと思うのです。

松本:“他者への想像力”が、やさしさの根源にある、ということですね。私も全く同じように感じています。自分の当たり前は、誰かの当たり前ではないかもしれない。この視点を持つことが、やさしさの第一歩ではないでしょうか。どこかに行きたいという気持ちがあるけれど、さまざまな理由で行けない人がいる。そういう人たちの存在にまずは気づくこと。そして、全てを理解することはできなくても、理解しようと、想像力を働かせる気持ちを持つこと。それが本当に大切だと感じています。

矢野:ええ。そして、そのやさしさは、誰の心の中にも必ずあると私は信じています。どんな人でも、生まれてから今に至るまで、一度も人のやさしさに触れずに生きてきた人はいないはずです。親や友人、先生など、誰かから受けたやさしさの分だけ、自分の中にもやさしさの種が蓄積されている。大切なのは、自分の中にあるその小さなやさしさの種を、芽吹かせたり、花を咲かせたりしてみることではないでしょうか。

「やさしい社会」を目指すこと

矢野:洛和会は「やさしい社会を創造する。」というパーパスを掲げているのですが、この「やさしい社会」を実現するためには具体的に何が必要か。せっかくの貴重な機会ですので、ぜひ松本さんのお考えを伺ってみてもよろしいですか。

松本:やはり、多様な背景を持つ人々が自然に交わる機会を、社会のあらゆる場面で増やしていくことが不可欠だと思います。教育の場で「多様性は大事だ」といくら言葉で教えられても、実感として理解するのはとても難しいものですから。例えば、息子は地域の保育園に通っていたのですが、そこでは障がいの有無に関係なく、みんな一緒に過ごしていました。息子は歩くことも話すこともできませんが、保育園の友だちは、彼がすごろくのサイコロを持てなければ当たり前のように手に持たせてくれるし、苦手なことがあればごく自然に手伝ってくれる。彼らにとって、それは決して特別なことではなく、ただ「友だちが困っているから助ける」という当たり前の行為なんです。幼い頃から一緒に過ごすことで、障がいの有無といった垣根を越えて、ごく自然に関わり合う関係性が育まれる。そうした自然な交わりの場が、社会のあらゆる場所に増えていくことが、やさしい社会への第一歩だと私は信じています。

矢野:素晴らしいお話ですね。経営者としての視点で言うと、そもそも今の日本は、みんなの力を引き出さないと生き残れない社会。人口が減少し、働き手が不足していく中で、高齢者も、女性も、子育て世代も、障がいのある方も、あらゆる人の力を結集しないと、社会は立ち行かなくなります。ですから、「やさしい社会」の「創造」を目指すことは単なる理想論や綺麗事ではなく、極めて合理的で、持続可能な経営戦略でもあるんです。多様な人材がそれぞれの能力を発揮して働きやすい環境を整え、組織全体の力を最大限に引き出す。そうした組織の方が、結果的に生産性も上がり、社会の変化にも柔軟に対応して生き残っていけるはずです。

松本:洛和会さんは、まさにそういった組織や事業のあり方の最先端を行かれているようにも感じます。洛和会さんが「やさしい社会」を支える包括的なサポート体制と永続的経営モデルを確立されたとなれば、他の法人や企業も真似をしたくなるかもしれません。

明日からできる、小さな一歩

矢野:最後に、この対談を読んでくださった方々へ、明日からできる「やさしい社会」の実現への小さな一歩として、何かメッセージを伝えたいですね。松本さん、いかがでしょうか。

松本:そうですね。繰り返しになってしまいますが、「自分の当たり前は、他の誰かにとっての当たり前ではないかもしれない」と、ほんの少しだけ意識を向けてみることだと思います。その視点を持って、いつもの街や職場、お店を見渡した時、自分が当たり前に使っているものが、誰かにとっては使えないものかもしれない。自分が行ける場所が、誰かにとっては行けない場所かもしれない。その本当に小さな気づきや意識の変化が、世の中にあるさまざまなものを、より良く変えていく大きなきっかけになると信じています。

矢野:同感です。最初は小さな、一人の勇気あるやさしさかもしれませんが、それがきっと周りの人のやさしさにも灯をともしていく。そのあたたかな循環こそが、まさに「やさしい社会」の創造につながっていく。私もそう信じています。

 

  • IKOUポータブルチェアとIKOUスタイ(よだれかけ)

Profile

株式会社Halu(ハル)
代表取締役
松本友理 / YURI MATSUMOTO
長野県出身。上智大学卒業後、2007年にトヨタ自動車へ入社し約10年間自動車の商品企画に従事。自身の子どもの障がいをきっかけに、2020年に株式会社Haluを設立。2022年には子ども向けインクルーシブブランド『IKOU』を立ち上げ、「インクルーシブデザインで多様性を価値に変え、分断のない世界をつくる」をビジョンに掲げ活動している。

 

洛和会ヘルスケアシステム
理事⻑ 医師
⽮野裕典 Yusuke Yano
1981年⽣まれ、帝京⼤学医学部卒業後、臨床研修や介護の現場を経験。
2019年に洛和会副理事⻑、2022年に理事⻑に就任。「やさしい社会を創造する」を掲げ、病院・介護・保育・障害福祉を包括的に展開し、地域社会に根差したヘルスケア体制を推進。経営の透明性や現場⽬線を重視し、患者・利⽤者・職員が尊重し合う環境づくりに注⼒している。働き⽅改⾰や⼈材育成にも⼒を注ぎ、医療・福祉の持続可能なモデル構築を⽬指している。